ゴールドコラム Gold Column

中世以降のインドの
金(ゴールド)と装飾品のお話

古代から金(ゴールド)の産出もあり、ローマの金貨も得てきたインド。
中世から後は金(ゴールド)とどのような関わりを持つのでしょうか。

インドへの金(ゴールド)の流れ

古代から貿易で栄えてきたインドですが、これは中世以降も続きました。
インドだけでなくその東の中国や東南アジアの香料や薬物、織物などもヨーロッパの人々に求められたことや、
大航海時代に入り陸路だけでなく海からのルートも確立されたことも、この貿易が栄えた要因になったようです。
これにより、ヨーロッパの金(ゴールド)は、長きに渡り多くインドに流れ込むことになりました。

しかし17世紀に入って、イギリスとオランダが南インドに進出し、
19世紀にはイギリスの植民地となるなどし、こうした状況は変わってしまったようです。

インドでの美術や装飾品の流れ

4世紀に始まり、栄えていたヒンドゥー教寄りのグプタ王朝も8世紀には倒れ、
インドは諸国乱立の状態となり、美術様式も地方ごとに独自の発展を遂げていきます。

そんな中、11世紀にはインド北部にイスラム勢力が侵攻しはじめ、
13世紀にムスリム王朝が成立すると、インド北部ではヒンドゥーとイスラムの文化が入り交じるようになりました。

“16世紀、インド全土を支配したムガール帝国はイスラム国家であるものの、伝統的なインド美術を積極的に採り入れていた。
装飾品に関しても例外ではなく、イスラム文化の影響があるものの、 伝統的装飾品を身につけている人々も多い。
もっとも、地域ごとに好みの差はあり、北インドでは彫刻をデザインの中心にしたものが、 西インドでは宝石類や鏡が、東インドではビーズ細工が、そして南インドでは宗教的モチーフのものが好まれているという。”

(引用:図解 装飾品  新紀元社)

地域によって流行が違うのは、なんとなくわかる気がしますね。

こんな宗教色の強い独特なインドの装飾品ですが、変わったものでは鼻飾りなどがあります。いわゆる鼻ピアスですね。
鼻飾りは既婚女性の証だそうで、リング型のものやボタン型のもの、小鼻に埋め込むタイプのものなど種類も様々なのだとか。
ちなみにピアスつながりでいうと、耳飾りには様々な意味があり、宗教や地域、
属するコミュニティによって決まりがあるのだそうです。
流行などではなく決まりがあるというのは面白いですね。
素材には金(ゴールド)、銀、銅、真鍮、動物の牙や角、木材などが使われるようです。

どちらのピアスも、インドの女性やファッションに似合っていてステキですね。

参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社

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