ゴールドコラム Gold Column

古代ローマの
金(ゴールド)と装飾品のお話

地中海世界を制し、ギリシアの文化を引き継いだローマ帝国。
この古代ローマにおいて金(ゴールド)はどのような存在だったのでしょうか。

「権力の象徴」から「おしゃれ」へ

装飾品の分野においても、ギリシアのものを継承していたローマ帝国ですが、初期は金(ゴールド)や銀などの貴金属の確保が難しく、
金属よりも宝石や宝石に似せた色ガラスが多く使われたようです。
紀元前1世紀頃になるとそのような状況は改善され、貴金属も多用されるようになりました。
また、それまでは主に権力の象徴であった装飾品ですが、この頃から男女ともに、おしゃれのために身に着けるようになり、
一般市民にも広く用いられるようになったのだそうです。

ちなみに古代ローマで人気があった装飾品はカメオ・ブローチでした。こういったブローチは、衣服の布を肩口で固定するために使われました。

ブローチというと襟元や胸につけるイメージですが、もともとはこういう風に使われていたのですね。品があってステキですね。

渡りゆく金(ゴールド)

そもそも金(ゴールド)は、どのようにして古代ローマへもたらされたのでしょうか。

“ローマ人は、小アジア、ギリシア本土、マケドニアなどの金山と銀山を押さえ、エジプトの巨大な富を略奪し、またイベリア半島の金山、銀山を完全に支配した。その量についてはさまざまな説があるが、おそらく古代帝国がそれまでに集めることのできたうちで最大の貴金属がローマの手にはいったといってよいであろう。…(中略)…
 しかし、ローマが蓄積したこの大量の金銀も、結局帝国の域内にはとどまらず、どんどん流出して、大きな財政的問題を引き起こした。”

(引用:黄金の世界史  講談社)

流出の要因となったのは、国家の支払いやインドなど東方の国との貿易でした。
当時輸入品の対価は、金(ゴールド)が原則だったのだそうです。

また、国家の支払いというのは主に兵士や傭兵へのもので、ローマ帝国の末期には軍事費が国家予算の70パーセント以上を占めるようになっていたとのこと。

古代といえども、勢力拡大のためにはかなりのお金が必要だったのですね…。

参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社

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