ゴールドコラム Gold Column

古代インドの
金(ゴールド)と装飾品のお話

当時世界に大きな影響を及ぼしていたインドと中国の間に位置する東南アジア。
この地域ではどのような金(ゴールド)の文化があったのでしょうか。

海のシルクロード

インドとギリシアやローマといった地中海の国々との貿易が盛んになり始めた2世紀頃、インドから東はインド系商人の活動の場となりました。

“東南アジアの金もインドにとって重要な商品になった。 インド史上ではマレー半島のことを「黄金の国」と呼んでいるが、
これは、この時期にインドの船が黄金を求めて直接マレー半島を訪れるようになったためである。
マレー半島のほかに、スマトラ、ボルネオ、ジャヴァ、フィリピン諸島からも金が出た。”

(引用:黄金の世界史/講談社)

当時はインド商人が東南アジアへ移住することも多かったようですが、それに混じってギリシア人やローマ人までもが南シナ海まで進出していたとのこと。
彼らの場合は、金(ゴールド)よりも香辛料が目的だったようです。

資源に恵まれた東南アジア

装飾品の分野においても、この地域は早い段階から大陸の文化の影響を受けていました。
ベトナム周辺では中国、インドネシア周辺ではインドの影響が大きかったようです。
2世紀頃からは、この影響を受けながらもそれぞれの地域で独自のアレンジを加えたものが発展していきました。

資源が豊富であったこともあり、素材としても金(ゴールド)や銀、宝石類などが主に用いられていました。
ヒンドゥー教や仏教の神話、動植物といったものが多くモチーフとされましたが、
大陸からもたらされた高度な金属加工技術により、優れた加工を施されたものも多いようです。

ちなみに紀元前4000年頃から東南アジアの人々移住しはじめたと言われるオセアニアでは、
大陸の影響や豊富な鉱物資源といったものもなかったため、16世紀まで石器を中心とした文化が続き、
金(ゴールド)などの金属が使われた装飾品もなかったようです。

根源は同じ人種であったり、比較的近い地域にあっても、環境により辿る歴史が大きく変わるのですね。

参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社

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