ゴールドコラム Gold Column

金(ゴールド)にまつわるお話:
スペインによるアステカ・インカの征服と黄金のうわさ

1492年にコロンブスが新大陸を発見した後、スペインはアメリカ大陸の制圧を始めました。
この活動に加わった人々は「コンキスタドール(征服者)」と呼ばれました。

アステカ帝国の滅亡と皇帝の秘宝

1519年、600人ほどのコンキスタドールを従えてユカタン半島に上陸したのは、エルナン・コルテスでした。
ある時コルテスは、アステカ帝国の皇帝が莫大な財宝を所有していることを知ります。

“扉が開けられたとき、コルテスと何人かの首領が先に入った。
そこには凄まじい量の宝石や、金の板をはじめとするさまざまな財宝があり、みんなあぜんとして声も出なかった。”

引用:絶対に見られない世界の秘宝99/日経ナショナルジオグラフィック社

その後、コルテス率いるスペイン軍とアステカ人の戦いが始まり、コルテスが都を支配下に入れたのは1521年のことでした。
しかし、その時にはすでに、以前城壁の中にあった莫大な財宝はすっかり消えていたのです。

この財宝、スペイン軍に奪われる前に2,000人以上を使って運び出されたという噂が流れ、
宝の隠し場所といわれる候補地もアメリカ大陸内に十数ヶ所あるそうですが、このアメリカ大陸最長の宝探しはまだ終結していないそうです。

インカ帝国伝説の黄金の都

コルテスたちスペイン軍がアステカで戦っている頃、南アメリカ大陸に向かった別のコンキスタドールたちはインカの人々に遭遇していました。
最初はお互い友好的でしたが、徐々に緊張感は高まり、長い戦いがはじまります。
アステカよりも文明が発達し、大帝国となっていたインカとの戦いは、1572年まで続きました

そんなインカには、「インカリ神話」というものが残っています。

“インカリ神話によれば、スペイン人はインカ帝国最後の皇帝を処刑し、体を切り刻んでペルーのあちこちに埋めた。やがてバラバラだった体が再び合体した時、皇帝は完全な体としてよみがえり、インカの支配も復活するという。そしてインカの王はクスコに都を建設し、その後パイティティを築いて余生を送ったとも伝えている。”

引用:絶対に見られない世界の秘宝99/日経ナショナルジオグラフィック社

パイティティは黄金都市と呼ばれ、金銀財宝が溢れていたとも伝えられています。
パイティティの存在は、2002年にローマの古文書保管庫からパイティティの住民との交流を綴った手紙が発見され、注目を浴びるようになりました。
ここ数十年、学者や探検家の調査はボリビア北部やブラジル南西部まで広がっているそうですが、その都市の所在地は未だ不明のまま。
2007年にペルー南部の廃虚群がこの黄金都市の遺跡だとする主張が報道され、日本でも話題になったようですが…はたして真相やいかに?

アステカやインカの莫大な黄金は、今もどこかに眠っているのかもしれません。

参照文献
『絶対に見られない世界の秘宝99』
日経ナショナルジオグラフィック社

Gold Column ゴールドにまつわるコラム