ゴールドコラム Gold Column

金(ゴールド)にまつわるお話:
消えたトランスバールの金塊

南アフリカ共和国というと、ゴールド(金)の産出国としても有名ですが、20世紀初め頃までの60年弱の間、現南アフリカ共和国の北部には「トランスバール共和国」という国が存在しました。
この国は、オランダ系移民(ボーア人)が英国の統治に反発した結果築いたものでした。

トランスバール共和国の変遷

トランスバール共和国が存在した数十年の間に、「ボーア戦争」という二度の戦争が起こりました。
第一次ボーア戦争は1880~1881年。英国がトランスバール共和国の併合を宣言したために、ボーア人がこれに抵抗して起こったものでした。
この戦争は結局ボーア人が英国に勝利し、再び独立が認められました。

それから数年後、豊富な金(ゴールド)の鉱脈が発見されたことによりトランスバール共和国の状況は一変。
財政難に陥っていた国は急速に繁栄していきました。
しかし、これが引き金となり、1899年、第二次ボーア戦争が勃発。
最終的に英国が勝利し、1902年には条約が結ばれ、共和国は英国の直轄植民地となってしまうのでした。

消えたゴールド(金)の行方

トランスバール共和国が敗戦する少し前のこと。
英国に驚くべきニュースが飛び込んできました。

“1901年にトランスバールの行政官に任命された英国のミルナー子爵は、英国が統治権を握る前に、トランスバールの銀行や鉱山、造幣局から150万ポンド相当の金塊が持ち出されていたことを報告した。金塊の所在を調べたが全く分からず、クルーガーの命令で埋められたという噂が流れた。”

引用:絶対に見られない世界の秘宝99/日経ナショナルジオグラフィック社

クルーガーというのは、当時のトランスバール共和国大統領。彼は自国が劣勢になり、オランダの軍艦でヨーロッパに逃亡したのでした。

この消えたゴールド(金)、150万ポンドというといまいちピンと来ないかもしれませんが、キロに換算すると約68万キロ。つまり680トンです!
そんな大量のゴールド(金)を一体どうやって持ち出したのでしょうか?
もちろんこれがひとかたまりなんてことはないと思いますが、小分けにしたとしてもかなりの労力が必要だったでしょうね。

このゴールドの行方については諸説あるものの、結局現在もまだ不明のまま。
でも、今もなお南アフリカ共和国では、数年に一度流れるのだそうです。
農場や裏庭を掘った人が大量の金貨を発見したという噂が。

参照文献
『絶対に見られない世界の秘宝99』
日経ナショナルジオグラフィック社)

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