ゴールドコラム Gold Column

近代以前のアフリカの
金(ゴールド)と装飾品のお話

アフリカで金(ゴールド)といえば、まず南アフリカを連想される方も多いのではないでしょうか。
しかし歴史的に見ると、南アフリカが金(ゴールド)の産出国と認識されるようになったのは
割と最近(近代になってから)のことなのです。
それまでは、アフリカの金(ゴールド)はどう認識されていたのでしょうか。

大航海時代のアフリカのゴールド

ヨーロッパが大航海時代に入ったころ、アフリカで金(ゴールド)といえば注目されたのは東アフリカと西アフリカでした。

“東アフリカでは、ザンベジ川とリンポポ川の間の内陸が優良な金産地帯であり、
かなり早くからここで金が産出していた。
東アフリカの海岸地方が、イスラム教徒の進出によって商業的に注目されるようになると、
内陸地方との交易が行われるようになった。
…(中略)…
 西アフリカの金の起源はあまりはっきりしていないが、かなり古い時代から採取が行われ、
サハラ砂漠を通ってアフリカ北部の沿岸地帯にもたらされていたことが想像される。”

(引用:黄金の世界史  講談社)

ちなみにザンベジ川とリンポポ川に挟まれた東アフリカというのは、アフリカ大陸の中でも比較的南側の地域です。
アフリカ大陸の北東側にあたるスーダンにも多くの金(ゴールド)があったようで、
エジプトのファーティマ朝の金貨鋳造は専らこちらに頼っていたようです。
しかしそれも14世紀頃には、ヨーロッパの人々が介入するようになりました。

なお、黄金の交易路は大体3つあったと考えられており、
ひとつは西の「モロッコのフェズないしはマラケシュ~ニジェル川の大湾曲点に達するもの」、
もうひとつは東の「リビアのトリポリないしはエジプト~チャド湖に達するもの」、
最後は中央の「チュニジアのカイルワンかチュニス~ニジェル川とチャド湖の間の地帯に達するもの」だそうです。
いずれにしてもサハラ砂漠を越えなければいけないルートなので、
当時としては航海と同様、命をかけての交易だったのでしょうね。

謎に包まれた装飾品の歴史

アフリカは歴史自体は古いのですが、残念なことにサハラ砂漠以南は部族間の差異が大きく、
遺物が少ないため、装飾品の歴史についてはまだまだわからないことが多いようです。

そんな中、ナイジェリア周辺は研究が進んでいる地域で、紀元前9世紀頃の文化にまでさかのぼることができるとのこと。
とはいえ完全な形で装飾品が発見されているのは9世紀から始まるイボ=ウク文化のものなのだそうです。
このサハラ砂漠以南の地域では、主に銅や宝石類、色ガラス、
珊瑚、象牙などといったものを素材としたビーズを連ねた装飾品が多かったようですが、
それ以外にも金(ゴールド)などの金属線で作られた耳飾りや腕輪、足輪、指輪などもあったようです。

アフリカのほかの地域ではどうだったのか、明らかになる日が来ると良いですね。

参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社

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