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イエローゴールド

Goldゴールドのコラム

中世ヨーロッパの金(ゴールド)と装飾品のお話<後期>

金(ゴールド)に関連することとして、中世後期のヨーロッパにおいての大きな出来事といえば、
やはり大航海時代の始まりではないでしょうか。
そして装飾品に関しては、王族や権力者を象徴するものへと変わって行きました。



航海による大きな発見

 

西アフリカへ進出し、多くの金(ゴールド)を得ていたヨーロッパの人々は、
黄金を求めてさらに南へ、西へと競うように航海を進めました。
当時は、「アフリカを南下すると横に長く伸びた大陸があり、
インドとつながっている(インド洋は地中海のような内海)」と思われていましたし、
さらにアメリカ大陸の存在も知られていなかったため「海を渡って西へ行けば、黄金の国ジパングや中国にたどり着く。
東へ向かってインドを経由するルートより近道」という認識があったようですので、
アフリカの東海岸に反時計回りで行けることやアメリカ大陸の存在はとてつもない大発見だったと言えます。
そしてそのいずれの土地からも、新たに金(ゴールド)を得ることができたのでした。

 

装飾品の格差

 

この時代になると、ヨーロッパの装飾品の立ち位置は様変わりしました。

 

“この時代、交易路の発達によって装飾品の素材となる宝石類や金属類が大量に流通するようになった。
しかし、それに反するように装飾品に対する制限が各国で設けられたのである。
例えば、庶民階級の人々には金、銀、宝石類の使用は認められず、
騎士であっても銀の使用がようやく許可されるといった具合である。
これは装飾品の価値を高め、それを身につけることによって地位の差別化を行うための処置であった。”

(引用:図解 装飾品  新紀元社)

 

この頃ファッションの中心となったのはフランスやイタリア半島の国々でした。
伝統的というよりは、職人たちがオリジナリティを競ったため統一感はなかったようです。

 

せっかく素材が大量に流通し、新しいファッションも生まれ始めたこの頃に、
地位によっては金(ゴールド)などの装飾品を身につけてはいけなかったというのは
非常にもったいないし、残念なことですね。

 

 

(参照文献:『黄金の世界史』/講談社、『図解 装飾品』/新紀元社)

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