ゴールドコラム Gold Column

古代・中世の中国の
金(ゴールド)と装飾品のお話

悠久の歴史と広大な国土を持つ中国。
そんな東アジアの大国では金(ゴールド)はどのような存在だったのでしょうか。

銀が勝る国、中国

中国は本来、金(ゴールド)の産出国でした。
しかし、金(ゴールド)に対する価値観は、ほかの国とは少し違ったようです。

“注目されるのは、中国人が、古代エジプト人、ギリシア人、インカ人などに見られるような、宗教的な、 そして神秘的な執着心を黄金に対してもつことが少なかったことである。  
古くは戦国時代において、金が上流階級の間で用いられたことが伝えられているが、 主として贈答、謝礼、賄賂などの目的で使い、通貨として使われたのではなかった。上流階級がもっぱら独占していた貴金属といってよいだろう。”

引用:黄金の世界史/講談社

漢の時代になると、征服した周辺民族から金(ゴールド)が流入し始めたり、国内でも産出されたこともあり、金(ゴールド)の豊かな国になりました。
ところが、主に貿易によって金(ゴールド)が外国に流出したため、漢の末期には保有量は減少してしまいました。

そして漢の時代の後、唐の時代にも貨幣が制定されましたが、いずれも金(ゴールド)が通貨になることはなく、
ほかの国と比べると中国では金(ゴールド)が安く、銀が高いという傾向にあったようです。

装飾品の変遷

中国の装飾品の流行は、王朝ごとに変わって行きました。
金(ゴールド)が装飾品の素材として登場し始めたのは紀元前770年ごろからの春秋戦国時代~秦にかけての時代のようです。

装飾品のアイテムとしては頭飾り、耳飾り、首飾り、腕輪、指輪などがありました。 しかし冠などの頭飾りに関しては、(中国の時代劇などをイメージされるとおわかりかと思いますが)主に布製のものを基本としていたようです。

また、多くの装飾品が紀元前5000年ほど前の新石器時代頃から用いられはじめ、首飾りに至っては今から1万年以上も前の物が発見されているとのこと。
古い時代のものはいずれの装飾品も貝殻や動物の骨などから作られていたようですが、漢の時代頃には金(ゴールド)や銀、宝石などが主流になっていたようです。

なお装飾品の歴史としては、580年頃からはじまる隋唐の時代以降は宝石や貴金属を組み合わせた最も精巧な装飾品が用いられた時代でしたが、
907年以降の五代十国の時代の戦乱により次第に衰退。960年以降の両宋の時代になって、徐々に復活の兆しを見せ始めました。

長い歴史、多くの民族がいると、辿る歴史も独特ですね。

参照文献
『黄金の世界史』/講談社
『図解 装飾品』/新紀元社

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