ゴールドコラム Gold Column

古代エジプトの金(ゴールド)と
装飾品のお話

エジプトの金工術の歴史は古く、紀元前2900年頃には小さな金製品や金の延べ板が作られるほどでした。
そして中王国時代と呼ばれる紀元前2040~紀元前2010年頃には、
鋳金や浮彫り、金箔、象眼など現代の金工芸で用いられるすべての技術が、すでに完成の域に達していたのだそうです。
ちょっと驚きですね。
そんな古代のエジプトではどのような装飾品があったのでしょうか。

金(ゴールド)の装飾品のはじまり

エジプトでの初期の装飾品は、金や銀ではなく銅や鉄といった金属で作られ、
飾るものというよりはどちらかというと護符などの宗教的な意味合いの強いものだったようです。
そしてその後、異民族との交流や闘争を経て、技術的な部分で強い影響を受けることにより、
素材も金や銀をはじめ、さまざまな宝石など新しい素材も取り入れられるようになったのでした。

なお、エジプトには金(ゴールド)が豊富にあったのですが銀は産出しないため、銀は輸入に頼っていたようです。
エジプトというとツタンカーメンやピラミッドの副葬品など、「ゴールド」のイメージが強いですが、
金(ゴールド)が使われたのにはそういう理由もあったのですね。

多種多様なエジプトの装飾品

装飾品のモチーフとしては翼の生えた太陽やスカラベ(フンコロガシ)、コブラ、猛禽類などといった独自の神話からとられたものが好まれました。
アイテムとしては、かつらや冠などの頭飾り、耳飾り、首飾り、腕輪、足輪、指輪、ベルトなど、多くの装飾品がありました。
古代エジプトでは、暑さのため衣服の面積が小さく、その分装飾品が発達し、多くのものを身につけるようになったようです。
きっとおしゃれな人も多かったのでしょうね。

ちなみにツタンカーメンの黄金のマスクが頭からかぶっている縞々のものも「ネメス冠」という頭飾りで、
本来は縞模様のある厚手の布の頭巾にハゲタカとコブラの飾りをつけたものなのだそうです。
また、王の墓からは死者を物理的・霊的に保護するための数々の装飾品が副葬品として出土しているようですが、
これらの副葬品は使いまわしがされていたらしく、他の王のために作られた形跡があるものも含まれているのだそうです。

副葬品のお下がり…。
古代エジプトの文化もなかなか興味深いですね。

参照文献
『ジュエリー技法講座6 ジュエリーデザイン制作辞典』
美術出版社

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